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2018/05/26

PFM社ドン・ドリュー回顧録を読んで(1)

Thinking of the Mr. Don Drew's memoir with Pacific Fast Mail, a brass railroad model importer, part 1

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 過去に発売されたブラスの購入手引きで最新かつ最大のものといったら、真っ黒な表紙の"Brass Model Trains Price & Guide"にまず指を折ることはどなたも異論のないところだろう。2008年の第1巻こそ古い日本製がゴッソリと抜け落ちていて使いものにならなかったが、2009年の第2巻は2割以上の大幅増ページで面目を施したものだった。

 実をいうと不評だった第1巻は、"The Brass Train Guide Book"という本のオマケという位置づけだった。本体の方はインポーターやメーカーへのインタビューを並べていて、スタンスが提灯持ちとはいうものの、結構面白かった。
PFM Pacific Fast Mail logo パシフィック・ファースト・メール 唯一、昔の日本製に関係したコンテンツがPFM社だ。これはパシフィック・ファースト・メールPacific Fast Mailの略である。そのドン・ドリューDon Drew氏の回顧録が17頁にわたって掲載された。もちろん英文で、語学力に難のある私には細部の意味というかニュアンスがどうしても理解できなかった。10年を経て全文和訳が「米国型鉄道模型とモダンジャズ」というブログに登場した。

PFM Pacific Fast Mail logo Don Drew パシフィック・ファースト・メール 皆さんご存知のように、我が国のブラス製造は終戦から1970年代にかけてアメリカへの輸出で花形産業だった。それを牽引したトップブランドがPFMである。その後に起こった人件費の高騰と為替の変動で、生産拠点は日本から韓国へ移る。PFMも韓国化を図ったものの覇権はOMIが握ることとなり、PFMは衰退してしまう。(写真は、第2巻Jim Walsh氏の追悼文より引用)

 ナゾはここだ。同じ輸入業者のOMIがゼロからはじめて台頭できたのに、老舗でブランド力もあったPFMがなぜ上手くいかなかったのか。今までの推察は、懇意だった日本メーカーと運命を共にしたのだとか、経営者の高齢化だったというあたり。ところがこの翻訳を読んで違うことに気がついた。経営者の意識だ。二つあるように思った。

 一つは発注ロットの問題である。
 ドリュー氏が書くに「モデルの価格は日本よりかなり安いのですが、同時に、韓国のビルダーは非常に大きな数量を求めてきました。ほとんど知らない会社と取引しなければならない、というリスクもありました」としている。本人の文章では"The prices for the models were quite a bit lower than Japan, but at the same time the Korean builders were demanding very high quantities. And there were risks involved in dealing with companies which were largely unknown to us." ということで、一般論という認識である。

 これ、本当は違うのではないか。立ち上がったばかりのサムホンサに信用が無いのは当然だ。そして、そんな会社が一度にドカンと大きな注文をこなせるわけもない。実際は「数年間にわたってコンスタントに発注を維持してくれ」だっただと考えるのが自然である。
 自分で会社を経営すると仮定したら理解できる。工場は人間を雇って、給料を払う。毎月ほぼ一定の月給だ。ということは、それに見合った仕事をしてもらわなければならない。設計者がいて、プレス工がいて、ハンダ付け担当がいる。それら全員が永続的に均一に働けるように工面するということだ。そうでなければ、働かすことなく給料を払ったり、逆にある月だけ残業百時間なんてことになってしまう。優秀な人材なんて育てられないし確保だってできない。臨時社員で間に合うような仕事なら別だ。大きな会社はもちろんのこと、どんなに小さな会社でも同じだ。

 ドリュー氏が日本メーカーと取引を始めた頃は、すでに複数のインポーターが存在していて、メーカーはいくつかの注文を組み合わせることで、仕事を平準化することができた。また端境期には国内向け自社ブランドを手掛けるという解決策を採った会社が多かった。
 ところがブラス草創期の韓国では、各社の注文を組み合わせるということができなかった。なぜなら実績が無く信用が無かったからだ。そして残念なことに国内需要で補完することもできなかった。 ドリュー氏にはここの事情の理解が不足している。労働集約型産業を相手とすることが解っていない。まあこういう経営者は彼に限ったことではない。


USRA Heavy Mountain PFM/Toby 1968

 もう一つは、品質の問題である。
 「(韓国メーカーは)それらのブラスモデルが子ども向けではない、ということを知りませんでした」と書く。そりゃあそうだ。そういう趣味というか文化が存在しなかったのだから無理はない。日本の場合は話が早い。戦前から雑誌さえ発行されていた。インポーターの要求は、言われないところまで分かってしまう。いうなれば忖度文化。メーカーは生産工程の各段階で自ら品質をチェックする能力があるし、極端にいえば、勝手にチェックしてしまうという状況さえ起こったと想像できる。
 ところが、オモチャではないと知らなければ、自分の作っているものを理解できないし愛着も持てない。どういう顧客が買ってどう扱われるかを知らなければチェックのしようが無い。
  品質はメーカーの責任だ。取引なのだから、契約通りにできて当たり前。もしできなかったら送り返して手直しさせる‥‥なんてことを平気でやれば、メーカーは疲弊するし、商品の到着を待っている小売店や最終消費者は逃げていく。自らだって手付金がいつまでも回収できない。

 飛行機代がバカにならない時代に、おいそれと発注者が工場に出向いて途中工程をチェックしたり指導したりということは難しかったのだろう。まあ、OMIのトム・マーシュThomas Marshは、他人がやらないことをやったから大成功したわけだ。一部のインポーターは隣国の日本のメーカーに指導を頼んだと聞いている。
 韓国メーカーを十把一絡げに扱ったのでは事業は成り立たない。日本を相手にした成功体験が足かせとなった。同じ極東の2つの国がなんでこうも異なるのか私にも理解できないが。

 以上は無論、個人的見解である。単なる妄想。(ドリュー氏は1970年代を語ったと思えば1990年代に飛ぶという具合で、時系列が無茶苦茶。2つの問題は韓国への進出当初のことではないのかもしれない。そうだとしたら、さて、どう読んだら……)

United Scale Models logo Minari Zenjiro そして回顧録はユナイテッドUnitedについて詳細に書いている。PFMの先代である創業者のビル・ライアンWilliam(Bill) Lyan,Srは、IMP(International Models)のルイス・バーナーLouis Barnerr氏に切られた三成善次郎氏を信頼して大きなメーカーに育てた云々。
 ユナイテッドの消滅理由は、国内市場へシフトしなかったこと。そして小売部門を持たなかったこと。大事なときに代表者が亡くなったこと。さらにPFM社ドリュー氏の意識かな。【工場を大きくし過ぎたことも要因か。アカネの関野栄一氏は1965年(1967年?)の時点で見切りをつけて他産業へ転じた。サムホンサもアジンも‥‥】

 和訳を載せる「米国型鉄道模型とモダンジャズ」はこちら

 "The Brass Train Guide Book"の目次はこちら

 PFM社が存在したワシントン州エドモンズのMy Edmonds Newsなるサイトに"Edmonds Museum's model train exhibit inspired generations of hobbyists"という記事が掲載され、PFMと地域との関わりが語られている。ここに"PFM, LLC"のドリューJr.がコメントを寄せていて、その日付が2018年1月7日なので、会社自体は未だ存続しているのだろう。

 なお、PFMをインポーターの第1世代とするモデラーがおられるけれど、私の認識は第2世代である。第1世代は、Oゲージから始めたIMPやMGで、10年の開きがある。第2世代の特徴はHOゲージが主体といえる。

 こうなったら熊田晴一氏の"Art of Brass"や、HallmarK社のボビー・ホール"Tracks from Texas to Tokyo"、RMC誌のハル・カーステンズ"150 Years of Train Models"なんかも日本語で読んでみたいものだ。

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コメント

興味深いコンテンツのご紹介ありがとうございます。

PFMの名前は、米国型に詳しくないモデラーでもPFMサウンドシステムの名前でご存じの方が多かったと思います。

サウンドシステムも発売したことからわかるように、同社の製品は形態だけでもなく走りにも重点をおいていたことがよくわかます。

またこれを読むとアメリカのロストワックスメーカーの系譜というのも理解できました。

>>それは良かったです。御紹介のし甲斐がありました【ワークスK】

投稿: ゆうえん・こうじ | 2018/05/27 11:19

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