転換クロスシートの探求(1)
A stady of walkover seats for interurban railways, street cars and etc.
事の始まりは某急行電鉄。その社主が新造車を転クロにしたいと言い出した。もちろんモデルの話。寸法や構造の実車資料を提供していたら、興味がわいてきた。
現在、我が国で広く使われるこの座席は、本当に素晴らしい。進行方向に座れて楽チンだし、さらに向い合せにもできる。それも軽く押すだけ。安価で故障しない上に怪我の心配も寡少。おまけに自動式まである。考えれば考えるほど惚れ惚れする。いったい、いつ、誰が考案したのだろうと思ったら夜も寝られなくなった。(図は京阪3000系用で"電気車の科学"1971年8月号から引用)
■民鉄の最初は知っている。実は、ロマンスカーの名の起こりである1927年(昭和2年)の京阪600型(旧1550型)は、2番目。その半年前に琵琶湖汽船鉄道が採用している。のちの京阪石山坂本線で、車両は800型となったから、すでに京阪の息が掛かっていたのかもしれない。いやいや、共通する車体メーカーの日車が主導した可能性が高い。
それ以前については、1921年(大正10年)の鉄道省ナイロ29500形だと記した資料があった(関西鉄道研究会1991年刊「京阪電気鉄道」p78)。出典は不明。鉄道ピクトリアル誌あたりにありそうだ。どなたかご存じないだろうか。(“ナイロ20500”の錯誤と判明>>別記事)
本邦最初は1880年(明治13年)の幌内鉄道だという説が大勢。アメリカから鉄道システムを丸ごと輸入したわけ。開拓使号が大宮市の鉄道博物館に展示されていて確認できるはずとはいうものの、現物がオリジナルという保証はない(公式HP)。
そういえば、ここで使われたミラー式カプラーのことを以前に書いた(過去記事)。
■そう、彼の国では進行方向に向かって座るのが常識。最低でも転クロなわけ。これ、英語で、リバーシブルreversible・シートとか、ウォークオーバーwalkover・シートと呼ぶ。前者は、背モタレを表裏共に使うから、後者は、背モタレが座面を乗り越える様子を表現していると推察できないこともない。
鉄道史家として有名なJohn H.White Jr.氏の本を紐解くと、果たしてこれらの語が出てくる(The American Railroad Passenger Car, 1991)。
そのp373。「B&Oに客車を納入したConduce Catchによれば、1833年頃にはリバーシブル・シートが導入されていた」という。アメリカで最初に公共営業を行った同鉄道の開業が1830年だから、ほぼカイビャク以来といえる。
■1879年版のCar Builder's Dictionaryには、次の説明と図版。
これこれ。これがホワイト氏の本に出てくる。背モタレが両面使用ではなくて、引っくり返す方式。この項目の次に「リバーシブル・ストリートカー」とあって、これは両運を指している。リバーシブルは、進行方向のことと判断できる。進行方向が入れ替わる乗り物って鉄道だけで、それも全部というわけではない。アメリカでは路面電車から優等列車まで“単端式”が多い。
幌内鉄道は1880年開通だから、これだろう。
■1888年版のCar Builder's Dictionaryは、説明が少し変わる。
進行方向で背モタレと座布団が入れ替わる方式もリバーシブルだという。
■1895年版Car Builder's Dictionaryに初めてウォークオーバー・シートが登場する。Hale & Kilburn社の製品。詳細な構造は判らないものの、背モタレを両面使用し、座面角度を変えると断定してよさそうだ。この社名は、Henry S. Haleと、John B. Kilburnという2人の人物に由来するらしい。
一方、引っくり返す方式も長足の進歩を見せる。こちらも座布団の傾きを変えるようになった。(flicker画像/Edmundを参照)
これについてはホワイト氏が大々的に書いている。考案したMathias N. Forneyは、蒸機の0-4-4Tを開発した人物。要は人間工学的な検討を加えて形状寸法を決めたということ。1885年に特許を取得して、それをセントルイスのScarritt社が管理、Hale & Kilburn社が製造販売したという。
仕組み自体は次の動画と一緒だろう。ニュージーランド・オークランドの路面電車用で、座面の角度は変わらない。
■1912年版のCar Builders' Dictionaryには次の説明。
これら2種は全く別の扱いで、日本で普及した転クロはウォークオーバー・シートということがハッキリする。グライドオーバーとかプッシュオーバーともいい、メーカーによって異なるということなのだろう。
この後に日本で、1921年の鉄道省ナイロ29500形、さらに1927年の琵琶湖汽船100型と京阪1550型が採用する。輸入品だろうか。
■1928年版のCar Builders Cyclopediaでは、転クロが驚くべき進展を見せる。
なんと1人分ずつが別々に転換できる。しかもリクライニングする。この社名で検索したら、日本語でエドワードG.バッド社の歴史を解説するサイトをヒットした。バッド氏が座席構造にプレスを導入したり、客車製造に乗り出す切っ掛けだったという。こりゃあ分からんもんだ。
でも、どんどんトロリー、トラクションから離れていく。長距離列車用コーチの需要だろうか。
電車用と思しきは、JGブリルが製造している。これなら、安心して見ていられる。
1940年版以降はリクライニング系ばかりで興味の対象ではない。「電車の時代」が終わったということなのだろう。
ここで生じる疑問は、アメリカではどうして座席を皆、進行方向に向けるのかということ。我々にとっては羨ましい。
ホワイト氏は「アメリカ人は後ろ向きに高速で走るのを怖がるから」だという。
それに対してアメリカ旅客鉄道史を展開するSotaro Yukawa氏は「資本家による詰め込み金儲け」という仮説を披露されている。是非御一読あれ。
以上のストーリーをあるところで開陳したら、聴いておられた宮崎繁幹氏よりドサッと資料が送られてきた。英文テキストに目がくらむ。スキャナで読み込んでOCR、さらに自動翻訳……。
そうなんだな。当方の探求だけでは物足りない。アメリカのことでも、日本のことでも、分からないことだらけ。欧州でも使われたかもしれない。でも、過去に誰かが研究しているはずという勘繰りが働いて、これ以上はイマイチ踏み込めない。読者諸兄の御助言をお待ちする。
【追記】フォーニー式転換クロスシートの完全版もニュージーランドにあった。まず、タイエリ渓谷鉄道Taieri Gorge Railway(>>travel.jp)。
オークランドの交通科学博物館を走る元ウエリントンのトラム。こちらは枕が無い(>>「旅の車窓から-鉄道ファンの海外旅行」)。2018-05-24
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コメント
転換クロスシートの初体験は国鉄時代の117系でしたが、あれはやはり関東人にはちょっとしたカルチャーショックでした。JR東は回転式のクロスシートばかりなので、こっちになれてしまった今となっては転換クロスにはなんとなく馴染めない思いが拭い切れないです。悪習?に染まっているだけですけど。開拓使号と言うかコトク5010、草加、自分でも車内は撮影していたのに転換クロスだと言う事はすっかり忘れていました。
>>御発言多謝。開拓使号の写真、どこかにありませんかねえ【ワークスK】
投稿: 松本哲堂@風雅松本亭 | 2018/05/11 05:54
開拓使号の写真って、単に外観と車内の写真だけで宜しければこのURLにアップしてありますって、私のサイトにアップしてあるものですが、撮影した時点では余り自覚があって撮影していないのでご期待に添えるかどうか、、、。
>>もちろん、拝見しております。で、座席の可動部分を拡大できないでしょうか。わがままを言わせていただいて、カプラーも(笑)【ワークスK】
投稿: 松本哲堂@風雅松本亭 | 2018/05/11 19:32
近いうちに、CDかなにかに焼いて元の画像データをお送りします。連結器は、シャロン式の自連が取り付けてありました(陽刻が目視で確認できました)。
>>御面倒をお願いして申し訳ありません。甘えさせて頂きます。よろしくお願いします【ワークスK】
投稿: 松本哲堂@風雅松本亭 | 2018/05/11 23:31