PFM社ドン・ドリュー回顧録を読んで(2)
Thinking of the Mr. Don Drew's memoir with Pacific Fast Mail, a brass railroad model importer, part 2
PFM/Fujiyama AT&SF all-steel riveted caboose, 1966
webelos氏がブログ"Brass Model Collection of Kevin"に展示されたサンタフェのカブースを拝見して、手持ちの同モデルを引っ張り出してきた。保有する数少ないPFMモデルの一つである。ついでにカプラーを取付けようと床板を外して驚いた。これ、何から何まで総ドロップ造りなのだ。【画像はクリックで拡大】
もちろん、煙突は挽き物で、ブレーキ3点セットはロストワックス、ハシゴや床板などはプレスである。けれど、車体の4面と屋根板、それにキューポラは、厚板をドロップで刻印してハンダで組み立ててある。側板と妻板を測ったら2mmもあった。ことによると、屋根歩み板の筋とリベットもドロップではなかろうか。この取付脚は屋根に差し込まれ、その上の歩み板とはハンダ付けか。
ええっ! 窓枠や手スリ、それにキューポラのヒサシなどを含めて、どうやったらハンダが流せるのか。
以前に聞いた話では、治具をこしらえて、すべての部品をセットし、バーナーであぶって温度を上げ、手際よく順番にハンダ片を供給していく……という手法があるらしい。アマチュアには到底無理だ。各パーツは隙間なく接合され、外にハンダは一切流れ出ていない。
そしてカプラーの取付では、台車中心ピンの片方に0.3mmのワッシャを噛ましただけだった。左右の傾きも皆無。恐るべき精度である。
それにしてもどうしてこんな構造を採用したのだろうか。細い帯板にリベットを打って、それを貼り付けるのはHOスケールでは不可能なのか。後年だったら2段エッチングという方法もあるが、この時代でもエッチングは立体感に欠けると嫌われた風もある。
キューポラまわりの造形は半端ではない。
アサーンのプラスチック一体成型と比較してみれば、車体単体ではいい勝負といえる。当時は趣味としてブラスのコレクションが絶頂期を迎えつつあって、その質感を好むユーザーに応えることが製品の本旨であることは明白だ。
ちなみに次のOスケールは、板金プレスとハンダ付を駆使したKTM製品。1963年にMax Grayが輸入し、1968年にUS Hobbiesが引き継いだ。冷静になって較べればプラスチック射出成型の優位性がよく判る。2019-12-31
売り出された1966年という年も大きな意味があると思う。このドロップは十中八九、加藤金属が手掛けている。前年の1965年に同社はプラスチック製のNゲージを販売開始して、ドロップから手を引くようになる。ことによると、このモデルはそれを主構造に適用した唯一の事例で、マイルストーン的な価値があるのかもしれない。
また、エポキシ接着剤のアラルダイトが日本で市販され始めたのはこの3年前の1963年頃なので、アサーン車体をディテールアップして売り出すという手があった。アドバンテッジが手スリなどのパーツ別付けにあるのだから、今でいうハイブリッド構成とすることは可能だったはずなのだ。そうすれば車端部のハシゴや手ブレーキハンドルを作り込むことができて、現代に通用するモデルになったのにと妄想せずにはいられない。
このPFMモデルは1995年頃、アサーンの手摺モールドを削り落とすのが面倒とばかりに入手した1台である(>>Cascade Green Forever!)。
BN子会社のC&Sが1972年にAT&SFから6両を購入して、うち2両をBNグリーンに塗り替えているから、それを再現するつもりだった。ところがInterMountain/Centralia Car Shopsが該当車を塗装済みで売り出してしまい2010年、あえなくその軍門に下った(>>Cascade Green Forever!)。
■アメリカ型のブラスモデルを最初に目にしたのは「模型とラジオ」誌の1963年12月号増刊号カタログだと思う。写真が不鮮明だし、田舎の小学6年生の感想は、こういうものもあるのか程度だったろうか(別記事)。
その次が偶々入手したMR誌1969年3月号の裏表紙である。PFM/TenshodoのNP Z-6が全面にアップで印刷されている。
ディテールパーツがロストワックスということは知っていたけれど、その原型を人間が造ったことは到底信じられるものでは無かった。この号に載っていたプラスチックモデルのバークシャーについては既にお伝えしている(別記事)。
このときは、ペーパー電車の道に踏み出そうとしていたわけで、この一撃を受けてPFMは完全に別の世界となった。
それ以来、模型雑誌を購読して普通に知識が増えていき、1975年に創刊された"とれいん"誌に掲載されるその筋の記事も興味本位で読んでいた。
それが1993年の訪米で一変する。アメリカ型に目覚めてしまったのだ。このときブラス蒸機を2両買った。1両はWestside/GOMのSP GS-8 4-8-4 u.p.で、もう一両がPFM/TenshodoのATSF 3461 4-6-4 damagedだった。前者は今でも手元にあるが、後者は残念ながら友人にせがまれて譲ってしまった。修理が自分の手に余ることがネックだった。
【追記】このカブースのプラスチック・モデルをいじる話は、「香港クラウンの貨車(5)スチール・カブース」を乞う御拝読。2019-12-31
| 固定リンク
「カブース・カントリー」カテゴリの記事
- サンタフェのノーザン4-8-4とスチール・カブース(2020.07.27)
- MDCのモダン・スチールカブース(2019.11.28)
- 香港クラウンの貨車(5)スチール・カブース(2019.11.20)
- PFM社ドン・ドリュー回顧録を読んで(2)(2018.06.10)
コメント
ワークス・Kさん
詳細な「PFM/Fujiyama AT&SF all-steel riveted caboose, 1966」の構造、組み立てに関する記述とても興味深く拝読いたしました、構造、製作技法につきましては単語を知っている程度なものでしてとても参考になりました.手持ちの製品がこうなっていたのかを知ることでより愛着が深まりました、私のブログにリンクさせていただきました、有難うございました
>>ハシゴ先端の手スリは、屋根歩み板に突き刺してあって、これがキチキチで抜くのに難渋しました。ですから、床板を外すとハシゴなどを曲げてしまう恐れがあります。このモデルのハンダ付けを確認された方はほとんどおられないと存じます【ワークスK】
投稿: webeloskevin | 2018/06/12 09:48