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2018/10/23

新春運転会1972イン金沢

1972年1月15日mro会館 壁下昇 東淀川区 河合宏 生野区 吉田泰 大阪市北区 高橋武敏 高石市 清川幸夫 淀川区 内田亮二 大阪市北区 松井康行 掛川市 渡辺暢 掛川市 堀田正光 島田市 伊藤紀八 横浜市南区

 TMS誌2018年9月号に掲載された当方の記事が切っ掛けで、金沢市在住の北市正弘さんに資料を送っていただいた。もう40数年前にもなる昭和47年(1972年)の新春運転会のものである。【画像はクリックで拡大】

 それは1月15-16日に東西のクラブを招いての開催だった。
 まず集合写真の御名前を思い出していただいた。後列左から森田、私(栗生)、荒崎良徳、高田正彦、2人おいて磯田和人(むらさき)、黒田、阿川、土屋一生(城南)、北市正弘、小原修、飛騨秀昭、西尾博保。前列左から小島光雄(城南)、西川真元(ピノチオ)、壁下昇(むらさき)、赤井喬(むらさき)、一人おいて中尾豊(TMS)、伊藤祥蔵(掛川)、望月康夫(金谷)、二人おいて鈴木重孝(城南)の各氏。ここまで埋まってきた。

 レイアウトはピンクが荒崎氏、スカイブルーが私のもの。木製道床は西尾氏所有。場所は西尾氏の勤務先MROの別館である。

 資料というのは当日配布された案内で、この端正な文字は、明らかにテレビのテロップも手掛けられた西尾氏の手である。遠路を来られる方の便宜を図った金沢駅前の様子は、今となっては懐かしい。興味を持っていただける向きがあるやもしれず、表紙を含めて全8頁を披露しよう。当時の趣味人のつながりを僅かでもご理解いただけたらうれしい。

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 加えて昨年秋に御自身が講演された記録も送っていただいた。木曽森林鉄道を訪ねたお話である(南軽出版局2018年刊「軽便讃歌Ⅷ」 )。


sample page

 年寄りの愚にもつかぬ懐古趣味をなにとぞお許し願いたい。

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よしなし事」カテゴリの記事

コメント

TMSなどでおなじみの、錚々たるメンバー大集合ですね!
西尾さんの旧国など、特定ナンバー模型化の走りでした。

>>コメントありがとうございます。この翌年、1973年の秋に3か月間、金沢市郊外で日本海博という催しがあって、その国鉄館の大レイアウトの建設と運用に協力しました。0系新幹線16両編成が複線で行き交うという驚異の大きさだったんです。これを使って同じような運転会が開催されました。確かTMS誌に報告が載ったと記憶していたのですが、今探すと出てきません。あるいは"鉄道ファン"誌同年11月号に「日本海博国鉄館のSL達」というカラーグラフがあるようなので、お持ちの方の御確認をお願いいたします。ちゃんと写真を残しておくべきでしたね【ワークスK】

投稿: Cedar | 2018/10/26 12:01

断片的な知識しか無くて恐縮ですが、中尾豊氏の次にお名前の出てくる掛川にお住いの伊藤祥蔵さん、たしか「てんぷくトリオ」の伊東四郎さんのご兄弟じゃなかったかと思います。「弟はてんぷくでも、私の鉄道は転覆しないように云々」と言う趣旨のことをなにかの製作記の中でお書きになっていたような。たしか、2回以上はTMS誌に記事を投稿なさっていた筈です。

どうも、大昔に読んだ記事の内容の記憶ばかりが鮮明になって来ています。私も老人の仲間入りが確実に進行しているようです。

>>仰る通りです。城南クラブ主催の蒲田辺りでの運転会に弟氏が顔を見せられたことがありました【ワークスK】

投稿: 松本哲堂@風雅松本亭 | 2018/10/28 19:15

うーむ、栗生さんが一番若手というメンバーの会合だったのですね。
で鉄道ファン1973年11月号を調べましたが、義経、花々鉄道3号機、松任工場2272(B6)のカラー写真が掲載されていました。残念ながら模型の写真はありません。「館内は日本第3位の広さのHOレイアウトや、リニアモータ、CTC等が子どもたちのアイドルでした」という文章記述があるだけでした。
その時代のTMSではホームレイアウトに訪問して紹介する記事はありましたが、イベント用の大レイアウトを紹介する記事はあまりなかったような気がします。

>>ご確認痛み入ります。どこかにありませんかねえ。
 そうそう、0系16両編成はエンドウのスライダック式パワーパック4台を並列で動かしました。すなわち、新幹線だけで8台です。運転会には"むらさき"会の井上順二氏が13ミリの近鉄を持参され、2人だけで隠れて興じていた記憶があります【ワークスK】

投稿: ヤマ | 2018/11/16 22:14

仕事場で鉄道模型の話題が出て、生前父が鉄道模型仲間の伊藤さんは伊東四朗のお兄さんだと話していたことを思い出しました。
「伊東四朗のお兄さん・鉄道模型」でネット検索していたところ、たまたまこのホームページに行きつきました。
驚いたのは画像の集合写真に父らしき姿が写っていること。
案内の名簿にも父の名前が記載されており、
前列右から4番目が父(望月康夫)であることは確実だと思われます。
一度、自宅に遊びに来た伊藤さんを駅までお送りしたことがありますが、確かに伊東四朗さんに似ていると思いました。
生前の父は家族に模型の話などほとんどしたことがなく、静岡から金沢まで出向いていたことに驚かされました。
私も学生時代に石川県にいたので、こんなところに繫がりがあった事を嬉しく思いました。

>>コメントありがとうございます。そんなエピソードがあったとは、不思議なご縁ですね。インターネットの威力にはビックリです【ワークスK】

投稿: 望月茂夫 | 2019/01/12 14:56

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