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2022/07/18

AHMの40'スライドドア・ボックスカー

Upgrading the freight cars supplied by AHM, part 4: 40-ft slide-door boxcars; Did these models evolve from the Crown to AHM and Bachmann?

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AHMのボックスカーはオーストリアのロコRoco製とばかり思い込んでいたら、床下面に"HONG KONG"の刻印を見つけて驚いた。車体シェルのモールドも香港クラウンに瓜二つだった。【画像はクリックで拡大】


AHM #5241 Denver & Rio Grande Western Of course, the couplers were mounted on the car bodies and the wheelsets were replaced with metal. For this D&RGW car, the ends were changed to black and the roof walk was changed to orange.


AHM #5233 Boston & Maine No plate misalignment was seen in printing of this model, which seems to be the technology of the 1960s and 1970s.

トラブルで外れたドア・ガイドの様子は、まさにクラウン。
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床下面を較べてみる。オレンジのD&RGW車がAHMで、グリーンのNYC車が香港クラウン。D&RGW車のモールドはオーストリア・ロコにソックリ。
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"HONG KONG"の刻印。"OK"マークもクラウン製と一緒。

元箱にも"HONG KONG"と印刷されている。

上回りは四隅のステップstirrupだけ異なる。内側も金型レベルでそっくり。
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製品の変遷は単純に、1963-1964年にMantua/Crown(香港)で、1965-1970年頃がAHM/香港、1971年以降がBachmann/香港という具合だったと推察できる。ところが、ドッコイ。これをたどれる確かな証拠が見つからない。

Mantua/Crown(Hong Kong)
 Crownの資料は既出のとおりMR誌1964年1月号の広告。

AHM/Hong Kong
 AHMについてはまず、HOseeker.netのカタログコレクションに当たってみる。全ての年が揃っているわけではなくて、目星がついたのは1967年版。ところがここに40'ボックスカーが載っていないのだ。ただし、それ以外の40’ゴンドラと、3ドーム・タンクカー、4台車フラットカー、さらにサンタフェ・カブースは掲載されている。

MR誌の広告を追っていたら、1962年2月号に"Boston & Maine No.5233"というのを見つけた。ありゃあ、Crownより早いことになってしまう。
Mr196202p23b

まさかというわけで、HOseeker.netのカタログ1963年版を繰ると、イラストがあった。側引戸の下部にカギ爪が描かれているし、同じBMでもスキームが異なる。
Ahmcatalog1963page04b

このカギ爪付はTony Cook氏のサイトに挙げられている。Rivarossiか、Roco(またはLiliput)だろうか。同氏のサイトで香港製はこちら。当方が入手した2両も掲載されている。ただし、肝心の発売年が分からない。パッケージ・デザインで判明するのだろうが、確たる資料には行き当たっていない。

Bachmann/Hong Kong, Taiwan or China 
 ならば、バックマンはどうかというと、これもよく分からない。手持ちの4両が皆、同じ金型であることは自明である。ところが、AHM製品と比べると、"よく似ている"とは言えるものの、金型が同一であるかは断定できない。

Susquehanna Susie-Q 他に、UP inpact test carBachmann 175th AnniversaryMonopory Reading R.R.

バックマンのHOゲージへの参入は1971-1972年ということになっている。次は、40’ボックスカー(すなわちCrown系5種)がリストアップされる最初の広告で、MR誌の1972年2月号である。ただし、写真はNゲージ・モデルで、HOはこの後もついぞ姿を見せなかった。

 


結局、確かなことは何もわからずに3年間、この下書きを放置してしまった。クラウンからAHM、さらにバックマンへ変遷したという説は、恐竜の鳥類への進化と同じ稀有壮大な夢といったら、大袈裟すぎるだろうか。

 

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