京阪1900系の冷房化改造工事は縦横無尽
まあ,そんな愚痴は横に置いて,思い出を記そう.
1983年に実施の京阪線1500V昇圧の目途がついた頃,次の課題は8連化と,それに冷房化率100%ということだった.非冷房のままの新1800系14両と1900系45両をどうするかという話である.1800系は廃車で決まり.ただし1900系は簡易的に冷房化せよ.10年使えればよい.という指示だった.冷房ユニットは能力が足りなくて悩みのタネの6000系用(1両3台)を転用して1両に4台載せろ.金は使うな.工事は2200系改修工事と同時進行だからユックリでいい.ただし,198〇年には冷房化率100%を達成したい.
まあ,無茶な要求だよね.でも,こうもハッキリと指示されると,逆に,やり易い.過去の記録を紐解き,現場を巡って情報を集めた.
まず車体.現場に聞くと,2000系や2200系とは雲泥の差で,しっかりしている.車体断面に無理をしていないからか鋼体の腐食は全く無いという.じゃあ,鋼体修理は無しでいいよね.それに補強なんてしていない.
屋根の改造は,2200や2600の様なユニット鋼体をやめて,場当たり主義.屋根板を剥がして,ちょんちょんと鉄骨を切り欠きクーラー台を載せる.ただし鋼体が歪まないように適当にパッチ当て.まあ,ヒンジのような形の車体断面変形を防ぐだけ.鋼体改造はたくさん経験してきたから自信があった.もちろん,トラブルフリー.自慢だよ.80型とともに当社初ね.
側窓を下窓固定としたのは.窓保護棒の撤去も目的だけれど.主にはこの部分の保守量低減を狙っていて,上窓は単独で取り外せる構造とした.大津線600型も同時だったな.
1900旧の運転台撤去部には側窓を新設した.これ,新たに購入したのではないよ.保管されていた1801-1802を潰すことになって,その側窓を転用したんだよ.荷棚受も流用して,とても安上がり.上手く回ったね.この部分には窓下帯(ウィンドーシル)は設けていない.機能的に必要がないからね.模型化する人,間違えないでよ.
なお,1801-1802の台車をメーカーに要るか? って問い合わせたら,持って帰った.川崎重工はKS-6を汽車会社のモニュメントにでもするつもりだったのかな.住友金属はFS-302で金属疲労の蓄積を調べるっていっていた.
固定編成化で,M台正面は2200と同じ構成となった.それにより発生したワンタッチ着脱式の幌取付枠を分割部へ移設した.これ,鋼枠の無い1枚幌に交換できるから,客室設備として,とても重要.
内張りを変更した理由は,なんと6000系新造時に車体メーカーへ支給したものが余っていたから.元来,そんな無駄なことはしないよ.
そうそう,1979年からの昇圧対応工事で,こちらにお鉢が回ってきた仕事は唯一,側行先表示器の取り付けだった.先行事例が豊富だったから迷うことなんて無かった.でも一つの悩みは,1900新のボディーで,ガラス板の上辺が小屋根Rに僅かに懸かることだった.ガラスを曲面にするか否かということ.2000-2600はちょうど小屋根のド真ん中で,曲面ガラスを使っていた.まあ,現場に相談したら,Hゴムの変形で吸収できるといわれた.
で,冷房化改造では車内側からのガラス押え方式に変更した.表示面積を上下に大きくしたい思惑があったからね.
次に天井の整風版.従前はアルミ板を組んだり,大型の押出型材から削り出す構造で,こいつが高価.偶々訪れた車両メーカーで国鉄201系を造っていて,これがプラスチック製のものを使っていた.確かポリカーボネートの射出成型品.これを売ってくれと頼んだら,国鉄の許可が要るという.紆余曲折があって,大津線80600型にも採用した.車体メーカー経由で購入したからマージンの上乗せがあっただろうけど,以前に較べたらタダみたいなものだった.
クーラーは6000系からの転用品4台で,パンタグラフをPT42のままでいくことにした.このクーラーは風量には定評があったから,パンタの下へダクトを伸ばした.これは執念.新しい下枠交差式のPT48なんて買わないよ.1基200万円だったかな.
最大の難関は,冷房化による重量増大.こればかりは避けて通れない.それと1900旧と1900新には台車込みで2トンの重量差があった.乗客数にして30人.結構な重さ.
2200と2600では車軸を太くした.万事休すか‥‥と思ったら,耳よりな情報を仕入れた.現場が独自に判断して,つい数年前に1900旧の車軸を更新したという.念のため車軸メーカーに強度計算を頼むと,これを1900新に使う分にはOKと出た.よし,ということで,新の車軸だけ太軸で新製し旧と振り替えてもらった.もちろん,駆動装置には互換性があった.
それと画策したのは,1編成に1900旧を集めないこと.なにせ1900系の制御装置は応荷重になっていないから,加速に差が出る.これは工事期間を長く取れたことで差し替えが可能となった.
編成は最終的に5連9本になった.やりくりの関係で,1本が旧車体3両(1919-1920)で,1本が旧車体1両(1925-1926)となったけれど,あとは各編成2両に出来た.
編成は,Mc1-M2×T-M1-Mc2で,Tに140kVAのブラシレスMGを積んだ.2両×3両のユニットに分割したのは,寝屋川工場への入場線が4両以下に限定されていたため.入換の間,Mc1-M2にはMGが無いけれど,制御電源が直流で蓄電池を積んでいるから無問題.
編成分割点に簡易運転台を提案したら,指示者が即却下.かろうじて3両ユニットだけ合図ベルの設置を許可されたけれど,妻引戸の関係で位置を統一できなかった.簡易運転台なら編成を1人で操作できるけど,これが無いと推進運転になり,別に一人が必要になって,安全性も格段に落ちる.2200や2400のときも頑なだったな.何か,不文律があったのだろう.
もうひとつ,難題は1914のこと.1900新の先頭車は17両だから1両足りない.そう,雨トイがオデコに回っているスタイルで,1900旧と呼び,元1810形.
1900系が特急で活躍していた時代,こいつが先頭に立って走ると,役員から直ぐに電話がかかってきたという.「我が社の恥だから,編成内に隠せ」というような内容だったらしい.コッチに言わせれば,1900新だって,バンパー付なだけで,なんの工夫も無い恥ずかしい形状だけどね.
先頭部の断面Rが,1900新が8,000ミリで,旧は6,000ミリだった.たった1両のために予備品は増やせない.幸い前照灯は車内から取り換える方式だから,外板に孔をあけて窓を適当に作れば何とかなる.同僚が心配して,念のために強化ガラスとしたかもしれない.形は四角ではなくて,“スーパー楕円”だよ.後年の1000系改修工事でも採用したかな.
バンパーは,予備品倉庫に2セットが保管されていて目星をつけていた.たぶん両運だった1925と1926を片運化したときに外したもの.ステンレスの無垢だったから,切っても大丈夫.標識灯と並べた.
完成した姿を見た指示者から,「もうすこし,ヘッドを目立たたせてくれ」って注文が付いたから,ステンレスの縁を追加した.そう,当方の趣味ではないよ.この縁が無い状態で1週間ほど走った.写真があれば貴重だよ.銀色に塗った厚紙を貼り付けた姿なら,どこかにあったな.
失敗が一つ.1900系の制御装置と空制装置は発電ブレーキが可能な構成になっていた.でも,その機能は殺されていた.それで,この工事で復活させてくれるように頼んだ.ブレーキシューの摩耗が問題だったしね.でも,運用に入ったらブレーカーが飛び倒したのではなかったかな.電機メーカーに問い合わせたら,モーターに容量が無いので無理だそうな.これ,2200系でも同じような失敗をした.うぅぅむ,電気屋の信頼は丸つぶれだね.頼んだコッチのせいにするなよ.
総じて,工事は上手くいった.2400系と共に満足の出来栄えといえる.当時は自分の才能だと鼻を高くしていたけれど,今から考えると,上司に恵まれたんだよね.よくわかる.ほんと,これ,手柄自体が方針を指示した上司にあるよね.1800系廃車時にそのモーターで1両を電動車化して5連に揃えろとか.好き放題だったな.
そんな無茶をしても,予算が大幅に余った.こっちが全力を出したんだから,当たり前だよね.それで発注担当者が変な物を買った話は,またいつか.
■さて,千林商店街にキリンという模型店があった.関西人なら記憶しているよね.ここの名物おばちゃんが,フェニックスの1900系キットをたくさん仕入れていた.「売れるのか」と尋ねると,「これから廃車され始めたら人気になる」と返ってきた.在庫を抱えて大丈夫かなあと心配になった.そこで,冷房改造工事の説明書から何枚か見繕ってくれてやった.キットを買ったファンにコピーして渡せと,いうこと.
しばらくしたら,この中の1枚の図が鉄道ピクトリアル誌に掲載されて,驚愕した.出典は書かれていなかった.おいおい,出所を確認せずにこんなことをしていいんかい.盗人だぞ.投稿者も投稿者なら,雑誌社も雑誌社だ.キリンの思い出は,別記事(2012-03-11)へ.
■愚痴をもう一つ.いつだったか上司から,1900系だけドアの戸閉めに掛かる時間が長い.なんとか短縮せよと指示が出た.無茶だよね.片引戸で行程が長いんだよ.基本的には戸閉シリンダーの容量の問題.でも,こっちには秘策があった.実は,在阪各社の電車を見て,一部(大阪市交?)の閉まり方が違うことに気が付いていた.
空気シリンダーには2つの絞りが付いている.行程全部を調整するスピード用と,閉まる直前にだけ効くクッション用の2種類.これの組み合わせ次第でなんとか時間が短くなるのではないかという思惑である.こっちは現車を弄る資格が無いから,現場に応援を頼んだ.いろいろと試行錯誤して,確かに早くなった.原理はいたって単純.従来は,スピード絞りを開けて,クッションを閉めていた.すると,ドアはブーンと動いて行って,閉まる直前で一度二度シャクる.これを逆に,スピードを絞って,クッションを開けてやる,するとドアは,スルスルスルと定速で動いて行って,トンと閉まる.
何秒が何秒になったかは忘れた.4秒が3.5秒だったかな.現場へはさらに工夫してくれと頼んだ.スピードの調整が難しいのだ.ここで,こっちが熱を出して寝込んだ.生まれつき,身体が弱いのよ.独身で栄養不足だったかな.
その間に現場はスピード絞りに新たに孔あき座を追加するアイデアを考案して,所期の目的を達成できた.それで,手柄は全て現場.でも,効果は孔あき座だけでは実現できず,調整方法に肝があるのよ.工場のほか検車の月検査担当者にも説明したけれど,いつしか元に戻っていた.これ感覚的なものだからね.人事異動があるしね.車庫では戸閉時秒が0.5秒だけ縮ままっても得が無いものね.満員電車を運転する側とは価値観の相違.そりゃあクッションの機構が備わっているのだから,それを働かせたくなるよね.1900系以外でもクッションを効かせた調整になっていて,それを眺めて,今でも,ため息をついている.
乗客にとって,どっちがいいかは難しい.
■ところで,京阪の中で一番乗り心地の良い台車は? と尋ねられたら,1900新のKS70と答えることにしている.軸バネがシンドラ式で,空気バネが3段ベロー.この組み合わせが最高だと思う.軸バネは言わずもがな,で,問題は3段ベロー.実はこの空気バネの横剛性は前時代的でゴムの弾性だけに依存している.今だから白状できるけれど,このステンレスの輪っかがズレることもあって,空気バネとしては落第の構造といえる.でも,めちゃくちゃに柔らかい.線路の不整を拾った台車枠が左右に振られても,空気バネが柔らかいものだから,さらっとヤり過ごす.反対にスミライドは硬いから,揺れを車体へ伝えてしまう.ただし現代は保線技術が進歩していて,乗り心地に占める台車の役割は往年ほどではない.
なお,左右動の抑制にはダンパーを併用して,かつストッパーも設けているから,いくら柔らかくても心配はないよ.
そうそう,標準ミンデンのFS-347は,ときどき中書島でホームに擦り傷を着けてきた.軸距が2,300ミリと他より200ミリ長いけど,軸バネのダンパーが弱いためだと勘ぐっていた.後年,採用されたエリゴバネはこの対策だったかもしれない.
ところで,冷房化は10年ほどの寿命を想定していたけれど,20年も使われてしまった.設備と性能が揃っていて,工場にも運転にも使い易い電車だったように思う.その間,「1900系大好き」などと公言するファンにも出会った.
1913と1929の編成の中間パンタの撤去には唖然とさせられた.2編成だけパンタが不足して,やむをえず母線ジャンパーを設けたからだ.まあ,手順を守ればノープロブレム.それなら9編成全部,パンタ2個にするんだった.クーラー配置が楽になったよね.
あははっ! この記事,写真が無い.
テッチャンじゃあないと自分に言い聞かせていたから,撮っていない.すこしだけ悔やむなあ.それでは如何にも寂しいので,冒頭に2023年レイルロード刊の「京阪1900 Vol.1」の表紙を飾っておいた.
【追記1】工場担当だった1995年,阪神大震災が起きた.平積みしていた圧延車輪が崩れたぐらいで,被害は少なかった.阪神電鉄は高架車庫が罹災して,京阪から応援に貸し出す電車として1900系の名が挙がったはず.もちろん実現しなかった.間接的に耳にしただけ.2025-02-27
【追記3】1900系の直接的な廃車理由は,2008年に開通予定の中之島線に不適格だったからである.上り勾配が1キロ続いて,ある条件下で主抵抗器の容量が不足するというようなことだった.某フリー事典に「試運転で入線実績」とあって,肝が冷えた.一体何を試したのかな.2025-03-02
【追記2】本投稿が2月26日から行方不明になっていた.どうもブログ運営サイトの保守作業に巻き込まれた様子.ところが2月28日になって復活した.よくわからないが,拾い上げてくれたのだろう.とりあえず,ホッとした.2025-03-01
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コメント
長文の記事をやっと拝見いたしました。
まだまだ続きそうで楽しみにしています。
1900新のKS70台車は乗り心地が良かったですね。車体との相性も抜群で、京阪の線形にマッチングしていた電車と思います。その時代における私鉄特急の中では、自分的には最高峰と思っています。
1900 vol.2の本はいつ出るのかな。
>>コメント多謝.KS70は溶接構造でありながらトラブルを聞かなかった点も特筆すべきですね.レイルロードの1900 vol.1は版元で品切れのようです【ワークスK】
投稿: ヤマ | 2025/03/04 12:48