« 京都隧道倶楽部の30周年運転会と記念ボックスカー | トップページ

2025/06/14

本邦における真空ブレーキの歴史

When Japanese railways first began operations in 1872, they used Hand brakes. Vacuum brakes began to be introduced in 1897, but in 1921, during the conversion process, they changed to Air brakes, and this was nearly completed by 1931.

ことの起こりはRapido UKが予告したブレーキバンだった(同社サイト:写真を引用).英国のGreat Central Railwayが1903年から新造した車両で,不思議なことに3軸=6輪なのだ.おまけに15トンだという.えっ? そんなに重いのか? まさか,編成中でこの車だけにブレーキ力を負担させるのか? わざと重くしているのか? おいおい,真空ブレーキのホースが付いているじゃあないか?
 そんな疑問をアメリカ型鉄道模型掲示板8で投げかけてみた.【画像はクリックで拡大】

すると,宮崎繁幹さんから思わぬリプレイがあった.

‥‥英国の貨車は、1920年代でもハンドブレーキだけの貨車が多かったようです。従って、運転中の制動は機関車と緩急車しか出来ません。緩急車は制動力を高める為、死重を積んでいます。この緩急車は1903年製15トンとのことですが、後には20トンクラスも作られたようです.‥‥(一部改変)

うううっ,Brake Vanって,カブースや車掌車の単なる別称ではなかったのか.ほんとうに,この車だけでブレーキを負担したのか.現代は全車全軸にブレーキが備わっているから,正気の沙汰かと疑ってしまう.
 では明治5年,1872年の新橋・横浜間の開業時も同じか?

すると宮崎さんから,さらに衝撃的な答え!

‥‥創業時には貫通ブレーキが装備されておらず、機関車の制動力に頼る運行でした。それどころか、英国Dübs社製は、機関車本体にさえブレーキが無く、次位に制動車(=Brake van)を連結して運行すると云うもの‥‥(一部改変)

えええっ! それは手ブレーキだけということ.人力車か,まさに唖然. ああ,浮世絵でよく目にするあれか!


横浜都市発展記念館特別展「横浜鉄道クロニクル―発祥の地の150年―」のサイトより引用

手持ち資料になにかあるだろうか.明治時代だから,明治43年(1910年)初版 森彦三・松野千勝著「機関車工学」を開いてみる.
 おおっ,中巻の362-363頁に,鉄道運転規定「百軸に対し制動機を付すべき軸数」などという表があった.

表は横軸が平均速度で,15,20,25,30,35,40mph.縦軸が勾配で,1/40,1/50,1/60,1/70,1/80,1/100,1/150,1/200以下となっていて,それぞれの条件での100軸あたりで必要な制動軸数が示されている.
 この中で一番厳しいのが速度40mph(64km/h ),勾配1/40(2.5%)の場合で,51/100軸が必要とのこと.
 一番緩いのが速度15mph(24km/h),勾配1/200(0.5%)以下で,7/100軸と読める.
 また,機関車の動軸は1軸を2軸と数える.テンダーは1.5軸,空の貨車は0.5軸だという.

ということは,ダブス機はブレーキ無しの1Bタンクだから2軸のブレーキバン1両を連結して,平坦線なら 客車10両まで牽引できる計算になる.こんなのは,にわかに信じられない‥‥.

十中八九,これはイギリスの手法を手本にしている.では,アメリカの自動ブレーキ化前はどうだったのだろうか.それで,MRフォーラムに疑問を投げかけているけれど,今のところ“打てば響く”ような返事はもらえていない.

事実は想像を裏切るとは,よくいったものだ.
 真空ブレーキの採用から空気ブレーキへ移行した歴史を知りたくなってきて検索すると,ウィキペディア日本語版に「鉄道のブレーキ」という項目があって,概略が載っていた.
 ただし,情報源がハッキリしない‥‥と愚痴ったら,またしても宮崎さんから,今度はメールで文献のコピーが送られてきた.
1980年,工作局「車両検修技術 ブレーキ編[1]」に掲載されたという年表である.

「1970~80年代にかけ、国鉄の工作局は「車両検修技術」と云う内部資料を幾つかの分野で出しました。検修関係の教科書の趣きの出版物で、公刊されたものではないけれど、かなり部数が多かったらしく、古書で時折目にします。中にブレーキを扱ったものがあり御誂え向きに、初めの方にブレーキの歴史年表があるのです! 国鉄が出したものなので,まぁ信頼できるか」

との弁.
 この表,日米英の事情が混在し,さらに日本は機関車牽引列車に電車が加わっていて,しかも「主語」が組織名になっているから極めて読みにくい.でも1906年に甲武鉄道から引き継いだ電車が直通ブレーキだったなどという貴重な情報を含んでいる.

それはさておき,ここでは真空ブレーキが導入され,自動ブレーキへ変遷した様子をたどってみた.前述のウィキペディアとは,ところどころに齟齬がある.英米の様子は他からも拾った.貫通自動式の真空ブレーキの利害得失については皆さん,よくご存じ.必要ならネットなどを検索していただきたい.
 意外にも,我が国では真空ブレーキが全車に装備されるより前に,自動ブレーキ化が始まっている.
 アメリカの真空ブレーキについてはMid-Continent Railway Museumに詳しい.
 表で“WH”はウェスティングハウスのことである.

西暦 和暦 事    項
1825   英:Stockton & Darlington鉄道が蒸機営業開始
1831   米:B&Oが蒸機による営業開始
1833   英:蒸気ブレーキを開発 機関車のみ
1844   英:真空ブレーキの特許取得 直通式 実用化不明
1848   英:直通ブレーキを考案 空気圧力式 確認元
1856   独:ケーブル式ブレーキを開発 ウィキ
1867   米:WHが直通ブレーキを考案
1872   米:真空ブレーキを一部で導入 John Y. Smith式
1872   米:WHが自動ブレーキを考案
1872 M05 新橋・横浜間の営業開始
1874   英:真空ブレーキを導入 直通式 確認元
  英:真空ブレーキを改良 直通式2重化
  英:真空ブレーキを改良 自動式化
1878   英:真空ブレーキを改良 大容量化
1887   米:WHが自動ブレーキを改良 急動作用
1889   英:貫通ブレーキを義務化
1893   米:自動ブレーキを義務化
1897 M30 客車に真空ブレーキを取付開始 ウィキは1886年
1900 M33 貨車に真空ブレーキを取付開始 ウィキは1898年
1905   米:WHが自動ブレーキを改良 階段ゆるめ他
1906 M39 (鉄道国有化)
1909   米:WHが自動ブレーキに急ブレーキを追加
1909   欧:国際鉄道技術連盟が国際列車は貫通ブレーキ付と決議
1919 T08 自動ブレーキの採用を決定
1921 T10 自動ブレーキの取付を開始
1925 T14 (全国一斉自動連結器化 1918年から準備工事)
1925 T14 自動ブレーキのブレーキ管設置完了
1931 S06 自動ブレーキの全列車での運用開始(制動筒未装備車が一部残った) ウィキは1930年10月

この中で注目すべきは1925年(T14)である.この年に全国一斉自動連結器化(過去記事)とブレーキ管設置完了がなされた.ということは,前者の準備工事とブレーキ管設置工事が同時に進行していたと考えるのが自然だ.しかし,それに言及した記述を見たことが無い.なぜだろうか.

ところで,表を通観すると,先人たちの執念というか,熱意には頭が下がる.並行して緩和曲線の導入とか,短絡線の建設,鉄道電化など.国家規模の取り組みが大々的に敢行されたのだ.社会的にも大正デモクラシーが謳歌され,明治維新の精神が深く指導者層に染み渡っていたのだと心底思う.昭和に入って党利党略,組織至上主義に傾いたことが本当に悔やまれる.

閑話休題.次はオマケで,上述の機関車工学から真空ブレーキの機器構成を示す模式図.シリンダーが大きいことが特徴.ただし,機器はたったこれだけ.コンプレッサーも三動弁も必要が無い.
 用語の「エゼクトル」とか,「バキュアム,シリンダー」は,時代を感じさせる.

MoriHikozou2b.png

MoriHikozou1.png

それから,冒頭の実車写真で,車輪が松葉スポークなのに気が付かれただろうか? 英語では"Open Spoke"や"Double Spoke",あるいは"Split Spoke"というそうだ.

こういう内容にご興味を持っていただける方は限られているとは思うが,一人でも楽しんでいただけたら幸いである.巷間にいうところのコタツ記事だから,底は知れている.でもケーブル式貫通ブレーキ(Wikipedia-Deutsch)とか知らない知識も得られたし,私としては一刻の娯楽となった.電車用のブレーキについては,まだまだ分からないことばかりで,記事にできるレベルではない.生きている間に見極めたいとは思っている.

|

« 京都隧道倶楽部の30周年運転会と記念ボックスカー | トップページ

鉄道マメ知識」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 京都隧道倶楽部の30周年運転会と記念ボックスカー | トップページ